晴耕雨読日誌

経済学・自然科学・哲学・社会学etc.の書籍の書評を中心に

『経済数学の直観的方法 マクロ経済学編』

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意気込みをつづった初投稿から次の投稿を完成させるまで、だいぶ時間がかかってしまいました。この間になにも本を読んでいなかったというわけではありません。ただ夏の長期休暇にもかかわらず意外と忙しく書評をまとめるような時間がなかっただけです。さっそく書評を始めていきたいと思います。

長沼伸一郎『経済数学の直観的方法 マクロ経済学編』(講談社ブルーバックス、2016年)

物理畑から経済数学を眺める

本書は数理物理を大学・大学院で専攻した著者が、経済学で用いられている数学に関して物理学の視点から眺め、抽象的な数学が用いられる難解な経済理論を直観的に解説している本です。著者によれば経済学の数学というものは、天文学や物理学などの自然科学分野で成功した数学的技法を寄せ集めてなりたっているという。そのためまとまりがなく体系的に一つかみに把握することが難しく、学習が無味乾燥なものになっているそう。そこでこの本では経済数学の成立の背景にある天文学・物理学を中心とした自然科学の技法を明らかにして、ときには科学史的な部分にもふれつつ経済数学を解説しています。

自分は本書を読むまであまり知らなかったのですが、経済学というものは必ずしも他の学問分野に独立して、自立して発展したわけではなく、経済学の発展・進化には物理学など他の分野の成功が基底にあったそうです。そういった意味で経済学は本来、物理学などの自然科学と隣接している学問分野だといえましょう。そうであれば、基底となっている学問のエッセンスくらいは学ぶことは自然なことのように思える。しかし、今日の経済学は発展が著しく、経済学を学ぶだけでもかなりの労力が必要とされ、その背景にある、あるいは隣接している分野の習得にはとてもでないけど手を伸ばすことはできない、というのが現状だそうです。そこで源流となっている自然科学的な数学の技法を飛び越えて、いきなり「経済学のための数学」を学んでしまうために、学部レベルの学生は経済数学の理解に苦しんでいる数が少なくないとのこと。本書ではその断絶を埋めるために経済数学に取り入れられた物理学の技法をその歴史的な部分にも及びながら説明しています。

直観的方法というのは、天文学や物理学のアナロジーを利用して経済数学を説明しているということを示しています。先ほども述べたように現在の経済数学にはその成立の背景になった物理学の考えがすっぽり抜け落ちてしまっているため、数学的・物理学的な説明なしに、突然難解な概念や数式が出てくることが少なくないとのことです。本書ではその背景となった考え方の説明からそれがいかにして経済学に応用されていったに至ったかが説明されています。抽象的な経済数学の原理と対照的に物理学などの自然科学は自然現象、つまりは目で観察できるようなものを扱っているためかならず現実に存在する具体的なものと対応させることができます。(といっても物理学の成立初期のころはこのような説明であまり問題ないかもしれませんが、現在の最先端の量子物理学などは観察可能な対象だけを扱うものではないですよね…)そのため、本書の説明も具体的な自然を対象に物理学がどのように考えを成立させていったかがまず説明され、その具体的な自然の構造と類似するような経済の構造に物理学の考えを応用してくというストーリーが展開されています。その説明はときにエキサイティングであり、読んでいるほうとしても「次の展開が知りたい!」という風にどんどんページをめくって読み進めていけました。

 とくに経済学を専攻していない人にとってうれしいのは経済学の理論の発展がどのように進んでいったのかも簡潔ではありますが説明されているという点ではないでしょうか。本書では現代のマクロ経済学の最も難解な理論(と著者は言っている)である「動的マクロ均衡理論」をおもに解説しているのですが、この理論に到達するまでの前史もアメリカ経済学の動向を中心にまとめています。この理論が経済学(史)的にどのような重要性を持つのか、あるいはこれを学ぶことにどのような意義があるのかについても理解することが可能になっています。

本書が本格的な学術書ではなく、新書形式である、ということもありますが、著者の語り口はそれほど固くなく、比較的わかりやすく説明してくれています。他の経済学の本では眠くなってしまうような数式の説明も退屈することなくよめてしまいました。これはおそらく著者が冗長な説明を避けて、スパッと簡潔に説明しているというのだろうと思います。ですから数学が苦手な人にもおすすめです。著者の説明の基本方針としてまずこれから説明する事柄のイメージをまず提示して、そのあとにそのイメージの細部を埋めていくという手法をとっています。この方法が自分にとってはとてもありがたいもので、まず全体のおおまかなイメージを見せてもらえることで、これから説明がどのような方向に行くのかが明らかになり、いま著者は何のことについて説明しているのかが常にわかるようになっています。例えていうなら登ったことのない山に登る際に入念に構成された地図が事前に提示されている感じです。そのうえで有能な登山ガイドがついているという。このような状況では登頂も難しくないでしょう。

本書の構成もなかなか工夫が施されていました。本書では初級編・中級編・上級編と3つに分割され、とりあえず「動的マクロ均衡理論」のイメージをつかみたい人は中級編まで読めば十分で、この理論の細部と理論の成立の背景まで知りたい人は上級編も読むといったふうに、目的にあわせてどこまで読めばいいのかがわかります。中級編までは約140ページほどなので早い人であれば数時間もかからずに読むことができると思います。個人的には上級編まで読んだ方が、この理論の重要性も理解できるし経済数学の理解にもつながると思います。そして経済学を専攻するひと、あるいは文系の数学に意義が感じられないひとにとって意味があるのが4章~6章ではないかと思います。これらの章ではなぜ経済数学では微分積分学線形代数学・位相・関数解析学が必須のツールになっているのかが説明され、その利用、そしてこれらを学ぶ意義についても説明され、これからの学習のモチベーションになります。自分がこの本から一番学ぶことが多かったのはこれらの章です。

一つだけ残念だったのは本書に読書案内や参考文献のコーナーがなかった点です。このような新書にはたいてい最後の方に著者が薦める、このさきに読むべき本などが紹介されており、それらをよむことで読者を次のステージまでに橋渡ししているのです。しかし、この本にはそういった部分が一切なくすこし残念でした。それさえあれば、この本は文句がつけられないような素晴らしい新書であると思うのですが。

最後にまとめると、本書1冊で経済数学の概要・現代経済学の重要理論・経済数学を学ぶ意義など3つの味が楽しめます。314ページほどあり時間がない人には少々負担かもしれませんが、現代経済学の概観を眺めてみたい人にはお勧めできるものです。